『早春』作品紹介
令和八年一月号(通号1166号)
特別作品と 新燈抄 早春主宰(南 杏子)による十六選を掲載
特別作品
百歳になって 那須 予志江
一世紀経て無となりぬ秋灯下
さはやかに父姉に次ぐ百寿かな
賞罰の無く百歳や草の花
秋風や短しと思ふ一世紀
百歳の起伏を遅遅と地虫鳴く
未熟児で生まれ、虚弱の子ども時代、安政生まれの祖母に育てられ、思わぬ一世紀の生涯を賜りました。神仏に、先祖に、家族に感謝の毎日です。この先は、少しでも皆様のために私のできることをしてゆきたいたいと思っています。後悔のない予後を無事に送るべく、健康第一で。
新 燈 抄 選 と 選 後 言
選外の菊の月日を思ひやる
本多 薫
菊は秋の花の代表で、すがすがしい秋にふさわしい気品の花である。この句は、毎年菊花展に出品しているが、なかなか賞に名を連ねることができないというのである。「菊の月日を」と改めたことにより、丹精さの様子が心に痛いほど伝わってくる。
天高しダムの放水日をはじく
梶川 昌弘
一読で黒部ダムと思う。富山と長野を結ぶ、北アルプスを貫く山岳である。大自然が生み出す絶景に出会う。ダムの放水もダイナミックである。「日をはじく」で水量も分かり「天高し」で雄大な景色が目に浮かぶ。
石庭に黙を深めて秋の声
北田 文代
秋の声は、その音を聞けば「秋」を深く心中に感じるというような場合の物音。京都は、禅寺が多く、そのこころを教える「石庭」がたくさんある。作者も禅寺の石庭と向き合った。無音の中に風の音、木の葉の擦れる音を聞き「黙を深めて」で悟ったのである。
鼻歌を鋏に添へて夜なべかな
田中 秀一
夜の長い秋は、かつて夜仕事を始める風習があった。藁仕事、糸紡ぎなど。最近の夜なべは、会社、工場などは残業となる。作者は洋装関係のお仕事なので、この句は、裁断をされてあろう。「鼻歌を鋏に添へて」とあえていうことで、仕事が順調であることを表している。
消灯の窓に差し込む十三夜
山本 幸雄
陰暦九月十三日の月のこと。「後の月」というと暗い感じがするが、「十三夜」というと新鮮な響きに聞こえる。名月とは違って、夜寒も加わり周囲の景色もおのずから変わった趣がある。この句は、消灯と入れ替わって十三夜の光が一筋差し込んだという。活写の表現がよい。
四季感の歪む日本や鳥渡る
東面 昭博
秋に渡ってくる冬鳥。年々温暖化の進行が激しくなっている。日本の美しい四季がなくなるのではないかと、一抹の不安を思うのである。秋が深まると北方より多くの渡り鳥が来る。「歪む日本や」と感じたことが哀れさを強調している。
半世紀続く仲間と茸飯
合田 朝子
松茸飯の副題に茸飯がある。いろいろな茸と米を醤油で味付けして炊き込んだもので、この句は、五十年の進行形での友人であり、何もかも知り尽くしているので、支え支えられるのである。久しぶりに寄り合って茸飯を囲んだ仲間との幸せな空気を感じさせる作品である。
引く波に跖あづけて小望月
藤原 好文
名月の前夜、陰暦八月十四日の月を小望月という。光も名月とほとんど変わらぬ明るさである。光と明るさを全身で受けて、白砂の浜辺を素足で遊ぶので、小さな波が来るたび歓声ががあがるのである。「跖あづけて」で心地よい雰囲気が表現されている。
コスモスの彩を広げて通る風
山影 千左代
コスモスはオオハルシャギクという別名を持つ。都会にも農家の庭先にも、また高原にも調和して秋の風物詩になくてはならぬ花となった。この句は、コスモス園であろう。万本もの花の揺れに「彩を広げて」と言った表現が素晴らしい。広々とした景がみえてくる。
役目終へ骨の案山子を納屋に閉づ
柿本 八寿子
竹や棒を組んで、人形を作り古着を着せて田や畑に立て、鳥獣をおどすもの。その役目を果たしたのである。抜き取られて、着せていた服も処分し、骨組だけになった案山子はもう案山子ではないが、来年の良き働きを願い大切に扱い仕舞う。「納屋を閉づ」で豊作がうかがえる。
鰯雲城門あけて通しけり
安田 雅子
白い小さなかたまりの雲が、魚の鱗のように規則正しく並んで見える。青い空に描かれる雄大な絵のようでもある。この句は、天守に鱗雲が一面に広がっているのを見て、作者はふと城門を通ってきたことを思い浮かべて、鰯雲を「通しけり」と言い切った。言い得て妙である。
四阿の屋根に快音木の実落つ
岡本 晶子
木の実落つは、小さい木の実の総称で、果実類は含めない。晩秋には、熟した木の実がひとりで落ち、風の日などは雨のように降る。公園にある四阿で仲間と一息していると、音を立てて屋根に落ちてきた。それは心地よい音である。歓声が響いてくる楽しい作品となった。
初紅葉稚の一歩の嬉しげに
信定 和美
今年初めて見る紅葉を初紅葉という。うっすらと色づいてきたものが薄紅葉である。赤子は寝返り、這い出し、掴まり立ちができ、一歩を踏み出す成長の過程がありありと浮かぶ。「稚の一歩の嬉しげに」という晴れ晴れとした表現が、初紅葉と相まって佳句となった。
明明と秋山の日の閑かなり
福本 靖子
秋の山は、大気が澄んで明浄な姿である。晩秋には木々が紅葉して華やか色を見せる。この句は、秋の山へ行くと、晴れて風も心地よいので会話も弾み、時折鳥の賑々しい声も聞こえてくる。明るい日差しであるので、「閑か」が、長閑さまで表現できているのが佳句。
五目飯の吹き立つ香り秋高し
甲崎 みどり
秋の空の雲もなく澄み切った感じを感覚的に表現した語が、秋高し。この句は、五目飯とは、魚、貝、鶏肉、野菜などを具にして炊き込んだもの。この句は、実りの秋に相応しい五目飯を用意するのである。「吹き立つ香り」で生き生きと音までも伝わってくる。秋高し が効果的である。
同世代の立ち話なり秋麗
網本 八重子
春の「麗らか」を思わせるような風も風もなく心がとけるような心地よい日和を秋麗という。近隣の人たちが、同世代なので、子らも皆仲良しであろう。「立ち話なり」であえうので、たわいない話にも盛り上がるのである。「秋麗」が時間をわすれさせる作品。