『早春』作品紹介 

令和六年一月号(通号1142号) 

新燈抄 早春主宰(南 杏子)による十六選を掲載 

新 燈 抄 選 と 選 後 言 

 

独り居のひとりの闇に蚯蚓鳴く  

     竹林 敦子 

    

秋の夜、ジーッと切れ目なく長く、何ものとも分かちがたく鳴く音を、蚯蚓が鳴くと言った。一人の生活も慣れ、結構気楽な日々を過ごされている。「ひとりの闇に」ととらえたことで、特に親が子を思って心が迷う心情を、蚯蚓鳴くの季語で活かしている。 

 

間垣組む能登外浦の冬支度 

    青木国香 
 

秋の終わりになると雪国では雪吊や、雪囲いなど様々な準備をする。この句は、海からの強い季節風から、家々を守るため軒先より高い若竹や真竹を割ったものを、隙間なく並べ冬に備えるのである。冬は暖かく、夏は涼しい。この地方の生活の知恵が、「間垣組む」で生み出された作品である。 

 

朝露の今日高天を疑はず 

    藤原 好文 

露は空気が冷えて、大気中の水蒸気が凝結して水滴となる。早朝の散策をすると、草花に露を結んでいる景を見ると活力が漲るのである。一条の朝日が差すと命の尊さも感じられる。今日の秋空は間違いないと「疑はず」で断言しているところが、巧みである。 

 

秋真昼空映りこむビルの窓 

     野口 郁子 

秋真昼と強く言い切っている。真っ青な空の澄み切った秋日和であろう。高層ビルの林立の中、デザインも凝りガラスビルも多くなった。太陽の光、雲のいろいろな容。大型スクリーンを見ているような、動きを描写しているところに臨場感がある。 

 

秋耕や我が夕影を起しゆく 

     畑 拓夫 
      

秋の取入れが済んでから田畑を耕すことを、秋耕という。トラクターや耕運機で鋤くが、鍬で少しづつ耕している。朝日を受ける影、昼の影、日が落ち始めると夕影である。この句は、背後から夕日を浴びる光景が鮮明に活写されている。 

 

子の手紙眼鏡を探す秋の暮 

     東面 昭博 


秋の暮は、単に日暮という意味ではなく、古歌の「もののあはれ」が背景にある。夕方ポストを見ると離れて住む子供からの手紙に、心に不安が過る。何時も携帯で済むのである。内容を知りたいと思う親心の寂廖感を的確に捉えた作品。 

 

微笑みも言葉の一つ秋桜 

      北田 文代 

 和名が秋桜という。休耕田等を活用し村起しに力をいれている。成長力も強い。色もカラフルで、風に揺れる姿に心が安らぐ。「目は口ほどに物を言う」のと同じで、微笑みも言葉はいらない。季語の取り合わせが大きく包み込んでいる優しさが感じられる。 

 

母校への道は自分史辿る秋 

      岡本 晶子
 

平凡に暮らして来たのは、学生時代に通った道。四季折折に頑張って、良き師、良き友を得て俳句の縁で友人も増え、これらはすべて母校のお陰であることがうかがえる。「辿る秋」で、今後も迷いながら進んで行く決意が見える。 

 

秋祭太鼓の音の喨喨と 

     合田 朝子
 

秋祭は新殻を供えて神に感謝する祭り。地域の子供が少なく、高齢のため御輿を担ぐ人がいないので、取止める所も多くなった。この句は、秋晴れの下、地域を練り歩く。遠くからの太鼓の音、声が高らかと響いてくる。作者の駆けだして観る一時の幸せが感じとれる。 

 

朝まだき声かけ合うて霧の中 

     若狭 成光 

霧は地面に近い空気がひやされ、水蒸気が凝結し小さな水滴となり。浮遊し煙のように見えるもの。早朝でこれから集合し出発の時であろう。急に霧が押し寄せ何も見えないので、声を出して相手を確認している恐怖感が、読み人にも伝わってくる作品。 

 

草原に三三五五の馬肥ゆる 

      正司 韶子
 

寒い冬に備えるため、秋になって皮下脂肪が増えて太る馬である。青空の下、空気も澄み広広とした丘陵地であり、草の豊富な場所に馬を放して育てる。三頭や五頭づつが散在してのんびりと草を食べている光景が目に浮かぶ。 

 

橋渡り故郷広く柿日和 

     佐々木 啓川 

大気も澄んで、柿が村中いろどりよく晴れた日和である。作者は久し振りに帰郷された。川の音も山容も変わっていない。懐かしさに心が弾むのであるが、辺りは一面刈田となり。村の広さを感じた。「柿日和」によって納得させる作品。 

 

庭下駄の揃へてありぬ良夜なり 

     長田 義枝 

良夜とは、俳句ではとくに十五夜と十三夜とに言うことが多い。この句は、十五夜の月であろう。澄み渡る夜空に皓皓と満月が輝き庭も明るく照らされている。庭の手入れもよく「下駄揃へてありぬ」で、宿で月を愛でている様子がうかがえる。 

 

つきぬけて九月の空の深さかな 

     小田 たけし
 

九月になっても彼岸頃までは残暑が厳しい。それでも朝夕の空気はひんやりとして、確実に秋らしくなっていく。晴天に雲ひとつない群青色の空を、見上げると宇宙の深さまで感じると捉えた。作者は山手に住まわれている。 

 

廃線の隧道出れば秋高し 

     福本 靖子
 

嘗て賑わった鉄道も、乗客の減少で廃線となっている。村が消えゆく昨今の事情に淋しさが募る。しかしウォーキングの人にとっては、一度は歩いてみたくなる。長く続く暗闇のトンネルを出た。眼前に広がる青空に達成感を味わい爽快な一句となった。 

 

駄句百も実りのひとつ天高し 

     川原 亜紀 

駄句と作者は謙遜されているが、感性ゆたかである最近、早春ホームページを見て誌友になられた。宋斤先生も一題百句を作ることを述べておられる。「駄句百」が、将来大きく輝くであろう。生き生きとした誇らしい作品である。  

 

 

『早春』作品紹介 

令和六年二月号(通号1143号) 

新燈抄 早春主宰(南 杏子)による十六選を掲載 

新 燈 抄 選 と 選 後 言

 

小春日やひらがな並ぶ便り来る 

      勘山 かよ子 

 立冬を過ぎても厳しい寒さはいまだに訪れない。穏やかな日和が続く、これが小春日和である。ポストに便りが届くとわくわくするのである。ひらがなが多いのは、低学年の子を想像させる。小春日とひらがなが相俟って作者の感激の思いが伝わってくる。 

 

襖絵に座して落葉の音を聞く 

     竹林 敦子 

 

 視覚と聴覚が異なった詠み方になっている。特別公開であろうか、襖絵の作者は記していないが、滅多に拝観出来ないので、じっくりと説明も聞き、納得するまで向き合っているが、風が吹くと落葉の動く音もよく響くのであるが、静寂な情景をも感じとれる。。 

 

言の葉の今も花束借命忌

    青木 国香 

 借命忌は波郷忌の副題である。十一月二十一日が俳人石田波郷の忌日である。終生療養生活を余儀なくされたが、その中から珠玉の作品を生み出している。掲句の「言の葉の今も花束」と絶賛された作者もまた、表現力の豊かな作家である。 

 

渋谷てふ眠らぬ街に残る月 

     藤原 好文 

 

 日本の四季を代表するものの一つとして、秋から冬にかけて空が澄み、月が大きく照りわたる。渋谷のスクランブル交差点が、名所の一つであり、観光客に人気のスポットである。深夜でも人が多いので「眠らぬ街に」は月だけが皓皓と照らしており、月の孤独感を巧みに表現した作品になっている。 

 

短日や湖は銀色鏡めき 

     北田 文代 

 冬の日の短いとき、冬至を迎えて最も日中の時間が短くなると、空は青空が少なくなって鉛色の雲が張り詰める。海や湖の水面は、青青とした美しさを失う。そして日が射しても「湖は銀色」となるように見える。鏡のようだと見立てたところが佳句となった。 

 

招き猫の手の先にある冬日差 

     野口 郁子 

冬の太陽の日差しはいかにも弱弱しいという印象だが、公園などで若い母親が子供を遊ばせている情景は心地のよい温もりを感じる。招き猫は、顧客・財宝を招くというので縁起物として商家などに飾る。この句は、「手の先にある」といったところが作者の繊細さを表している。 

 

一族の期待大なり七五三 

     清藤 清成 

 

 現代において少子化の厳しさが、「一族の」にうかがうことができる。しかし、親は期待よりも健やかに育つことを願い七五三を祝うのである。 

 

猪鍋を囲み歓談夜の更くる 

     合田 朝子 

 猪鍋は、牡丹鍋ともいう。これに似たのが薬喰である。猪鍋を囲みながらなので、グループで食べに行かれたのでしょうか。味噌味で野菜とか豆腐などを入れてぐつぐつ煮えると、話題は佳境に入る。「夜の更くる」と言ったところに、和やかな雰囲気が伝わってくる。 

 

夕さりの街路さ迷ふ雪婆 

     岡本 佳子
 

晩秋から初冬にかけ、青白く光りながら空中をゆるやかに飛び、手を差し出しても、ふわりと躱す。この句は、暮ゆく街を急ぎ帰路につくのであるが、目の前をちらちらするのを、思わずこれは雪婆であると確信する。さ迷うのは私も同じと作者の笑顔の声が聞こえるような愉快さのある一句。 

 

咲き切れぬ蕾を抱く冬薔薇 

     青木 つゆ子 

冬に咲く薔薇である。四季咲きの品種は、冬にも花をつける。だが、本来の華やかさはない。冬日の射している中で蕾はいくつか持ってはいるが、開きそうでなかなか咲かない。この句の「咲切れぬ蕾を抱く」との表現がひときわ哀れさを感じさせる。 

 

高年も悪くはないぞおでん喰ふ 

     東面 昭博 

 おでんは東京が本場で色も味も濃い。関西では、関東炊きと言い、薄い味付けにする。高齢になると今までとの体の変化に気づくのである。おでんは若い頃から大好きで、今も変わらない。「悪くはないぞ」と言うことで高齢を振り払い、心を切り替えたのが佳作。 

 


神域は何処まで熟柿たわわなり 

     川原 亜紀 

山里の辺りを歩くと、冬田が広がり長閑な景観が眺められる。ところどころに柿が熟し会話も弾むので祠に出会って、神域がはっきりと確認出来ないでいる作者。省略が巧みな作品。 

 

椿の実裂けてほのかに色なき香 

     安田 和子 

 

 椿は葉に光沢があり、春に赤色の大輪の五弁の花を開き、秋には実をつける。ゴルフボールよりも大きい物もあり、三か所に切れ目が入り種子が出て、手に乗せるとずっしりと重たい。この句は、瑞瑞しい匂いを確かめた「色なき香」との表現が素晴らしい。 

 

六甲山縦走やはき落葉道 

     氏家 勉 

 関西では人気の山であり、東の生駒西の六甲と言われている。コースはいろいろとあるが、作者は縦走している。常緑樹以外は、葉を残すことなく全て落とすので、山道は落葉で被いつくされる。青空の下、声もよく通り、快活な靴音が聞こえてくる作品となった。 

 

文化の日絵の少女より見つめられ 

     信定 和美 

十一月三日は、この日を「自由と平和を愛し文化をすすめる」ために祝日と定められた。日頃は忙しく、壁に飾ってある好きな画家の絵を見ることもなかったが、新聞の表彰名を見ていると絵の少女の視線を労いと感じ取られた作者。ご主人の介護の最中である。
 

一茶忌にふと蠅の句を口ずさむ 

      山本 邦花 

一茶の忌は陰暦十一月十九日であり、生涯に二万に及ぶ句を遺した。著作には「おらが春」「父の終焉日記」などがある。揚句は、今日は一茶の忌日であり、「やれ打つな蠅が手をすり足をする」と浮かぶのである。生活の中に俳句を取り入れて楽しんでいる作品。 

 

 

『早春』作品紹介 

令和六年三月号(通号1144号) 

新燈抄 早春主宰(南 杏子)による十六選を掲載 

新 燈 抄 選 と 選 後 言 

 

帆柱に孤高の鷹の険しき眼 

     岡本 晶子 

鷹は精悍な猛禽で俊敏であり、高い所から獲物を常に狙っている。この句は、鷹が獲物を狙い撃ちにしようとしている。相手の油断を一瞬たりとも見逃せないので、眼の鋭さが増すのである。「険しき眼」によって、読み手にまで緊張感が伝わってくる。 

 

五体湯に沈めて百の柚子揺らす 

     本多 薫 

五体とは全身の意味である。冬至の日に柚子の果実を浮かべて無病息災を祈る。銭湯であろうか、この日は柚子を百個入れてお客様の健康を祈り、感謝の心遣いが見てとれる。香りがたちのぼり、全身が温まる。大胆に詠まれたのが佳句となった。 

 

女子会や皆着ぶくれて軽やかに 

     野口 郁子 

 

 着ぶくれはとは、寒さが増すにつれ人は重ね着をしたりするので、身体が膨れて見える様を言う。女子会と聞くだけで、華やかで明るいさまがある。コートを脱ぐと花柄やパステルカラーの服に驚嘆している作者がいる。「着ぶくれて軽やかで」の対比も巧みである。 

 

古日記感謝の言葉増えにけり 

     竹林 敦子 

 

 この一年書き続けた日記帳が残り少なくなったものを古日記と言う。今までは、自分の身の回りは十分出来ていたが、歳を重ねると他人の手を借りなければならない。読み返してみると、感謝の言葉が多いのには作者自身がびっくりされている。感謝の言葉は自分のためでもあり、相手を傷つけることもない。 

 

極月の句会の帰りとぼとぼと 

     岡本 佳子 

 

極月は十二月の異称である。この一年句会に出席出来た喜びと健康で過ごせたことは、何よりも幸せであると感じられる。作者は杖を曳いて句会に出席して頂いている。「とぼとぼ」の下五の表現に哀愁が漂う一句となっている。 

 

山茶花の風の和らぐ白さかな 

     東面 昭博 

 椿に似て大きいものは高さ十メートル以上にもなる。初冬に白色、淡紅色の五弁の大形の花をつける。真冬の太陽が照ると白さが眩しいくらいである。風もなく穏やかな日和が想像出来る。視覚と聴覚の感覚が心地よく伝わってくる。 

 

暴発の如き朝の大嚏  

     山本 幸雄 


 鼻の粘膜が、寒気やほこりに刺激されて出るのが嚏である。人前では少し控えてハンカチ等で口元を被うのであるが、我が家であるので遠慮などはいらない。思い切り心の憂さを一緒に出せるので快適である。豪快な響きと爽快な余韻が伝わってくる。 

 

江商の船坂塀や霜日和 

      畑 拓夫 

 江商とは近江商人のこと。近江の国には琵琶湖があり船を使用して、京都や大阪に出て商売をしていた。和船の古板を使って塀にしている屋敷が現存している。町を散策すると、美しく整備され近江商人の息づかいが、感じられる。霜日和が際立たせている。 

 

北風や星の瞬き強くなる 

     佐々木 啓川 

北風は、北寄りの強風が吹きすさび、寒いうえにも寒さを感じる。空気の澄んだ夜空を見上げると、いつもの星とは美しさの違いを覚える。「星の瞬き強くなる」で輝きの煌めきもが、大きさもくっきりと見えてくると表現されたのが巧みである。 

 

冬の夜を明るく照らす診療所 

     山﨑 睦枝 

 

一読して夜間の診療を受けられたと推察した。日頃からご主人の介護を献身的にされておられる。持病があれば尚更のことであり、急患の病院に搬送されたが、大事にならずに済んだことが、「明るく照らす」で安堵感が伺える。 

 

座禅後は茶の花垣をひと巡り 

     梶川 昌弘 

 

座禅とは禅宗などで結跏趺坐の姿勢をとり、精神を集中させる行法。少しでも心が乱れると警策で肩を叩かれる。この句は、座禅を終えると心の清清しさを覚え、さらに寂寥の境内の茶の花を愛で、尚一層の決意を新たにされた作者の姿が目に浮かぶ。 

 

冬木の芽未来ある子を疑はず 

     七尾 眞貴子 

 

冬芽は晩夏から秋にかけて生じ、越冬して春になって成長する芽。子供はどの子も大きな未来を持っている。過去、現在ときてまだ来ていない将来のことは、誰も知る由もないのである。「疑はず」が、親子の毅然としたすがすがしさを感じさせる。 

 

冬晴の空はねかへる子らの声 

     小田 たけし 

 

寒い日が続いたあとは、よく晴れておだやかな日がやってくる。「冬晴」はその冬の晴天を言う。数人の子供が群れて遊ぶと甲高い声が飛び交うのである。晴天より撥ね返ると捉えたところの表現がよい。 

 

鮟鱇や拳ひとつの口開くる 

     辻 美知子 

 

アンコウ科の深海魚で、鍋にすると美味しいので珍重されている。鮟鱇は吊るされて捌かれ、捨てるところが殆どないのである。この句は「拳ひとつの口開くる」に吊るし切りにされると口が想像以上に大きくびっくりさせられている様子。煮える匂いが伝わって来る。 

 

風呂吹の会心の味仕上がれり 

    髙松 典子 

大根や蕪などを落し蓋をしてゆっくりと煮る。熱いうちに練り味噌を付けて食べる。この句は、今までにも作ったが「会心の味」で作者の満悦の顔が見える。 

 

日向ぼこ絵本を開き膝の上 

     松下 充男 

 南面の縁側やガラス戸の中は、まるで温室のように温かい。そのような場所で豊かな冬の日射を楽しむのである。この句は、膝の幼児に絵本を読み聞かせている情景が目に浮かぶ。幸せな時間が流れる一 


令和六年四月号(通号1145号)

新燈抄 早春主宰(南 杏子)による十六選を掲載


ビルの灯は雫のごとし寒の雨 

  野口 郁子

 寒の雨は寒中に降る冷たい雨。駅前やビジネス街の高層ビルは一面ガラス

 張りで、特に夜景はビルが灯柱となりとても美しい。この句は、寒の雨が

 降りしきるので昼間も暗く外灯が灯り、信号機の色も浮き立つ。その様

 子を「ビルの灯は雫のごとし」ととらえて見たことが眼目である。

 

冬霧や渡月を渡る修行僧 

  竹林 敦子

単に霧といえば、秋季のものであるが、冬の霧は万物を閉じ込めるようだ。 

 陰鬱な重さを感じさせる。渡月は渡月橋と解釈した。嵐山の麓を流れる

 保津川に架かる橋として有名である。托鉢僧と擦れ違い、冬霧と水音の流 

 れの佇まいが目に浮かぶ。

 

午後十時辞書の冷たき重さかな 

  小田 たけし

冷たしとは手で触れた場合などの感触的で、また、地の底から肌を這い上

 がるような冷えを言う。この句は、句稿の推敲か紀行文なのか、とにかく

 夜遅くまで調べものに耽ているので、急に足元より冷えてくる。時間は午

 後十時と断定している。「辞書の冷たき重さかな」が言い得て妙である。

 

午輪飾や家のものみな神にして 

  藤原 好文

輪飾りは、藁を輪の形に編み数本の藁を垂らした正月の飾り物である。神

 棚に飾ることが多いが、自動車・自転車・蛇口・トイレのドアやピアノの

 上等にも飾られる。親からの子へと継承されていることが伺える「家のも

 のみな神棚して」が伝統を守ることの大切さを象徴している。

 

おみくじの美しき歌書く初硯 

  勘山 かよ子

 初詣に神社仏閣へ行くと必ずおみくじを引いて今年の運勢等を見るのが楽

 しみである。この句の場合「美しき歌」なので、和歌の恋歌と想像すると、

 境内に結ぶことは出来ない。毛筆で書きたくなるほどに心を揺さぶられた。

 作者の心情が伝わって来る。

買物のメモにメモ足す大晦日

  梶川 昌弘

 一年の最後の日は主婦にとっては、台所に立ち一番忙しい日である。きっ

 ちりと準備はしていたが、忘れた物があり、一番身近のご主人にメモを渡

 して頼んだが、さらに思い出してメモを渡す。「メモにメモを足す」の表

 現力が巧みである。

 

固唾のむ第一声の歌留多取

 本多 薫

 正月の代表的な屋内遊びの一つである。単に歌留多と言えば「小倉百人一

 首」をさす場合が多い。下の句を百枚ばらばらにして、親も子も交えて札

 を取り合う。読み手がひと声発すると騒ついていた場が「固唾のむ」で、

 緊張感が伝わって来る。

 

冬深しボルシチに合ふ赤ワイン 

  安田 和子

 冬深しは、厳寒のころの冬たけなわの時期である。山や野も北風に吹かれ

 て枯れ果て、防寒着に身を包んで往来する。この句は、ボルシチでこの寒

さを乗り越えるのである。白ワインより赤ワインと言った措辞がよい。暖

かくなってくる作品である。

 

一月や悲報はみ出す日記帳 

  東面 昭博

 一月は正月という言葉を内包しており、めでたい気分を捉えている。そ

んな中にも悲しい報せがあるのは、人の世の定め事ではある。身内であれ

友人であれその人の事は書き尽くせないほどの間柄である。紙面よりはみ出していることから悲しさが推察される作品。

 

良寛忌子と鳥の来て五合庵

 柿本 八寿子

 江戸後期の禅僧であり、諸国行脚の後、国上山の五合庵に住まいし、書・漢詩・和歌に優れていた。村の童とよく遊び、人に慕われ自然の中に生ききった。現在も観光の人気スポットであり、この句から良寛さんの生き方が眩しく暖かく伝わって来る。

 

たましひはひとりにひとつ寒卵

 川原 亜紀

 寒中に鶏が産んだ卵で、他の季節よりも滋養が高く日持ちも利くので好まれる。一読して斬新な作品と捉えた。生物の肉体に宿って心の働きをし、肉体を離れても存在すると言われている魂。「ひとりにひとつ」ということの真理を感じさせる作品である。

 

初夢の色は匂へど散りぬるを 

  井伊 己佳

 初夢の吉夢を見るために宝船の絵を枕の下に敷いて寝る習慣がある。この句は、縁起の良い香りのする花の夢を見て、一時の至福を味わっていたが、いつの間にか辺りは何もなく現実となる。いろは歌の十二文字をベースにした一句。

 

雨もよやとんどは闇をかけのぼる 

 田中 秀一

 とんどは左義長の副題で、雨もよは雨降りのこと。この句は、左義長の儀式を行っている最中に雨が降り出して来た。不安になったが、とんどの火は消えることなく闇を赤赤と燃えて、天へと登り続ける神の炎を見ている作者の姿が目に浮かぶ。

 

福笹のなんと欲張り飾り物 

  井上 泰子

 一月十日に行われる戎祭で、福の神の恵比寿様に商売繫盛・家内安全を祈願するのである。福笹に吉兆の小判・米俵などを束ねたいろいろな縁起物を買い、福娘に吊るして貰うと重たいのでびっくりされた作者。「なんと欲張り」が、こっけいである。福が沢山来ますよ。

 

初鏡髪結ひあげて母に似る 

  安田 雅子

 新年になって初めて鏡に向かって化粧をすること。平素は何気なく鏡に向かっているが新年ともなると、心も改まった気分になる。変化をつけて髪を上げて見てみると若き日の母とそっくりなので、親子とは似るものだと感慨にふけっている作者。

 

大寒や郵便受けのふた重し 

  中村 としゑ

 二十四節気の一つであり、陽暦では一月二十日頃。一年で最も寒い時期である。非常に寒いので外出もままならぬ。新聞を取りに行くのも戸建てであれば玄関まで行くのも辛い。寒くて冷たいので「ふた重し」との表現が巧みである。