「早春」令和七年四月号(通号1157号)より抜粋

早春創刊百年に思う

 早春社 主宰 南 杏子 

  早春創刊百周年を迎えることができ、先師先輩、同人、会員の皆様と共に心から喜びたいと存じます。泉下の人となられた方々はもとより、今日まで早春を支えて下さった全てのみなさまへ感謝とお礼を申し上げます。

  さて、早春は、大正十五年二月、永尾宋斤によって創刊されました。たまたま元号が変わり昭和元年でもあり、令和七年で百年となりました。早春の理念 自然讃仰・人生味到・郷土敬愛 の三是を掲げており、宋斤祖師の創刊の辞は次の通りであります。

「申し上げます。此度、私どもは、俳句雑誌 早春 を創刊いたします。特にこれと申す発行趣旨もありません。斯道の研究と作品の発表と偏に俳句精進するための機関として、切にその必要を感じてきたものであります。」

 それ以来、動乱の昭和と共に幾多の困難を乗り越え、その間 空前の俳句ブームを迎え、昭和十九年五月十二日永尾宋斤永眠となりました。ここで早春創刊五十周年記念号(十、十一月号合併号)を繙いてみると、表紙裏に東光院萩の寺にて全物故同信追善供養の様子と句会の写真が掲載され、その折の 南畝先生の言葉に、「俳句も時代とともに歩み、新しき伝統を作る俳句でありたい。感覚のとぼしさの作句理念は、真実な生活感情を誠実に詠むことを提唱されている。不易流行を現実に守り詩歴五十年は僅かの後退も感じていないので、一層の精進を努めることを祈っている」と結ばれています。

 永尾宋斤先生が創刊されてから途中昭和十九年三月に戦時物資統制令により、一時停刊のやむなき時期もありましたが 昭和二十一年九月、第二代主宰 神田南畝先生により復刊されて現在に至っています。

    歴代主宰

永尾 宋斤   大正十五年二月〜昭和十九年五月
神田  南畝   昭和二十一年九月〜昭和五十八年二月
藤本  阿南   昭和五十八年三月〜昭和六十三年五月
岡本  香石   昭和六十三年六月〜平成四年八月
岡野  洞之   平成四年九月〜平成二十年一月
渡辺  乾魚   平成二十一年一月〜平成二十九年四月 

(石田  輝海先生も体調不良の中で、主宰代行を平成二十九年二月〜平成三十年六月まで) 

南   杏子    平成三十年七月〜現在に至る

 令和二年七月  創刊九十五周年記念 早春作家選集 第十集を刊行

 令和三年六月  「宋斤」永尾 利三郎と尼崎  を羽間 美智子氏刊行

 令和六年六月  淡路島  国清寺に 詩友四九名の合同句碑建立

 令和七年一月 百周年記念 俳句結社「早春」の系譜 を刊行

 また、早春にとって、ゆかりのある東光院萩の寺には 宋斤先生の墓碑と句碑があり、毎年五月の宋斤忌を大切に執り行っています。

 なお、百年歴史を築き上げてこられたのも、地道に活動し、早春の理念を守り続けてこられた会員の皆様のたゆみない努力の賜物と感謝いたしております。これからは、百十年に向けてさらなる飛躍を遂げるべく、伝統を守り、品格のある新しい俳句を目指して行きたいと願っています。

  百周年準備のためご尽力賜りました百周年企画委員、編集委員、運営委員、会員の皆様、永尾東様、国清寺様、早春ゆかりの方々、青木印刷(株)様に心から感謝と御礼を申し上げます。


令和七年四月吉日

 以上